小御所(こごしょ)”です。
『平安時代末期には門主の居間であったといわれ、後櫻町上皇が仮御所として使用していた建物で、襖書は狩野派の書家の筆によって描かれたと伝えられている』そうで、明治天皇も小休止されたところだそうです。

(この時点では説明書きを読んでも「ふーん、そうなんだ」くらいにしか思っていなかったのですが、このあと、このお寺が皇室と縁が深いことを知ることになりました。)

小御所から見た庭園は華頂殿から見た庭園とはまた違った趣があり、ほんのりと色づき始めた紅葉も周りの緑の木々の中で浮かび上がるようできれいでした。

殿(しんでん)”の中の一つにあった、重要文化財の襖絵『濱松図』(重要文化財)です。小御所とこの宸殿の各襖絵は狩野派の筆によるものだそうです。


宸殿の中に一つだけ中に入れず撮影禁止のところがありました。奥には位牌が多く並んであり、その中に金色の位牌もありました。

カフェちゃんと話しながら見ていると、ちょうどそこに来られた尼さんが、奥に2つ並んである金色の位牌は昭和天皇と香淳皇后の位牌で、少し離れたところにあるもう一つの金色の位牌は孝明天皇の位牌だと教えて下さいました。

青連院門跡の先代の門主は香淳皇后の弟さんだったそうで、現在はその息子さんが門主だそうです。
たくさんの位牌は、歴代の門主、天皇の位牌だということもお話して下さったのですが、「あぁ、それで」とカフェちゃんと言ったことがありました。華頂殿に10年前現在の天皇皇后両陛下が訪れた時の写真が数枚飾られていたのです。その時は「へぇ~、ここを訪れたんですね」と話していたものの、まさか香淳皇后の弟さんが先代の門主とは思っていませんでしたし、お話をうかがっていなければ通り過ぎたままだったと思います。
この宸殿にかけられていた御簾(みす・すだれとしか言葉が浮かんでこなくて調べました(笑))には、金糸で菊の紋が織り込まれていました。



杉戸に羽を広げた孔雀が描かれていましたが、杉戸にこんなふうに絵が描かれているのを初めて見ました。

どのくらい前に描かれたかわかりませんが、色もきれいに残っていて、杉戸にこんなにきれいに描くことができるんだと思いながら、近づいて見てみました。
すると線の一本一本が丁寧に描かれていることがわかり、改めてすごいなぁと思い、カフェちゃんともそうお話しながら見入りました。

大玄関(車寄せ)をの真向かいにあった、孝明天皇が常用されたという板輿(はんよ)です。

襖絵は「日月松桜百鶴図」
汚れたりしないようにだと思いますが全てガラスで覆われていたものの、多くの鶴が描かれたきれいな襖絵で、カフェちゃんと「きれいですねぇ」とこちらも近くまで行って見入りました。

渡り廊下を戻る途中にJR東海のポスターが貼られているのを見つけました。
いろいろお話して下さった尼さんが、華頂殿から見た庭園の光景がJR東海のポスターにも使われているとおっしゃっていたので「これですね!」と見ましたが、見覚えがあるような気がしました。

1995年 【そうだ京都、行こう。】 ↓こちらをクリックしていただくとご覧いただけます。
http://recommend.jr-central.co.jp/others/museum/kyoto/summer_1995_01.html

華頂殿で庭園を見ている時に歩いている人を見ていたので、庭園へ出る入口のところで「どうします?」と話していると尼さんがちょうど来られて「ここから出ると庭園をぐるっと見て回れますよ」と教えて下さいました。聞くとさっき入って来たところに出られるということだったので、見て回ることにしました。

池泉回遊式庭園と呼ばれているそうですが、霧島つつじ植えられ、咲くととてもきれいだという“霧島の庭”という所があったり、竹林があったり、緑の木々の中を歩くのはとても気持ちよかったです。


庭園を回り入ってきたところに近づいたところに親鸞聖人九歳の像がありました。青蓮院は 親鸞聖人が九歳の時に出家得度したお寺だそうで、私達は気付かなかったのですが、剃り落とされた髪を植え付けたといわれている像を安置した堂もあったようです。

その近くには「ご自由にお撞きください」と書かれた札が鐘のところありました。ちょっと撞いてみたいなとは思ったものの、鐘を撞いたことがなかったですし、もし変な音が出たりしてしまったら…と思うと撞けなかったです(笑)